人は、何も達成しなくても、何も達成できなくても、その存在自体が尊い。
いつのころからかそう信じてきたし、その思いは今も変わらない。だが、そのことと、何かを達成することの尊さとは決して二律背反ではない。人の生が祝福されるべきものであるならば、何かの達成も同様に祝福されるべきものなのだ。
前者を強調するあまり、後者を軽んじてきた日々をほんの少し思い返した。この先、自分が何かを達成するとも思えないけれど。
(あ、いえ、マリナーズのイチローのことではなく、もっともっと、ずっとずっとささやかなことです。)