■「またあした」

 職場を去り際、「またあした」と挨拶して不思議な感覚をおぼえた。

 「何かなければ明日また会うのだから当然の言葉なのに、なぜそう思うんだろう」と考えながら車に向かっているうちに、思い当たった。

 今の職場で働き出してからまもなく14年になるはずだが、「またあした」などと言うことはほとんどなかったからだ。

 ちょっと変わった職場だし、近い方、遠い方、滅多に行かないところとかいろいろあって、定期的に2日連続会う人など、今までいなかったのだ。

 いや、厳密に言えばいるのだが、それは職場仲間ではなく、(失礼ながら)その他大勢のクライアント?なので、「またあした」などと挨拶することは滅多にない(そういえば、されたことはあるような気がする)。

 もちろん、家族にはふつう毎日会うが、「またあした」などということはない。

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 思えば、かつての職場では、月曜から土曜!まで、毎日毎日数十人と必ず顔を合わせていた。「毎日必ず」というのでなければ、二百人ぐらいとは会っていたと思う。

 そういう、ある種濃密な人間関係の中にいて、別に何の違和感もなかった。幼稚園に入園以来、ずっとそういう生活が続いていたからである(あ、大学はちょっと違うか)。

 それが、今は、「また来週」というのがもっともよく使う挨拶になっている。「金曜日に」というのも多い。そして、定期的に「またあした」なんていう相手は、実に一人もいなかったのだ。今年度までは。

 別に、毎日会いたいような同僚がいるわけではない。同僚諸氏に罪はないのだが、会うことはすなわちうんざりするタイプの仕事が絡んでくることも多くなってしまうので、むしろなるべく顔を合わせたくないという気分の方が強い。

 しかしながら、である。

 もしかしたら自分は寂しがっているのではないかという気がちょっとする。

 毎日のように「またあした」と言い合える相手がいることは、——働いていればそれがむしろふつうだろう—— 幸せの条件なのかもしれない。