★慈愛の眼差し

 灯台もと暗しという言葉そのままに、京都に行くことはほとんどないのだが、ここのところ何度か足を運んでいる。この半年で数回、この1か月だけで3回目だ。

 今回は、昔(といっていいのだろうか、進行中のものもあるのだが)の仕事仲間の集まり。

 仲間といっても、おふたりはかなり年上のやんごとなきお方で、残るひとりも畏友の大学教授である。

 それが4人揃って、馬鹿話をしながら少年のように笑い転げる。

 その姿を、やんごとなきお方の奥様が「4人とも・・・」と慈愛に満ちた眼差しでご覧になる。

 滅多に幸せだとか思わない私だが、そんなサークルの末席にいることの慶びはさすがに感ぜられる。

 ほんとにありがとうございました。

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 出町柳から、Yの字になった高野川と加茂川を渡り、大原野菜を主体としたおいしい和食の店へ。

 4人揃うのは2年ぶりだろうか。「ご無沙汰・・・」とは言うのだが、会った瞬間から垣根はない。

Dsc08017_169 食事が終わると、奥様の待つ下鴨へ。

 「終の棲家」として購入なさったというお宅には茶室が設えられており、鉄瓶に湯がわいている。

 そこで、きちんとしたお作法に則った抹茶をいただく。

 もちろん、作法を心得ているのは亭主のみで、正客からして立て膝、私などは体操座りである。申し訳ないので、抹茶碗を受け取るときだけ正座する。

 馬鹿話に慈愛の眼差しはその茶席でのことだ。

 何もかもが違うのだから当然のことなのだが、今までにいただいた抹茶の中でいちばん美味であった。

 作法があるから抹茶から遠ざかってしまうのだなどと恥ずかしげもなく記す私だが、もちろん、何百年と続いた伝統が無駄なものであるはずがない。

 ときおり訪れる静寂の中で聞こえるのはちりちりという湯の音のみ。お香の微かに薫る空間に、精神が安らぐ。

Dsc08032_169 帰路、4人で加茂川を散策する。ソメイヨシノは散り初めているものの、枝垂れ桜はまだ盛りだ。嵐を警戒していたが、花冷えの花曇りではあるものの、雨は降っていない。

 いちばん年長のやんごとなきお方が「だれが最初に死ぬんやろ?」とおっしゃる。

 いつまでも、だれも、死なないんじゃないかと、なかば本気でそう思った。