●いや、重ね重ね、お恥ずかしい・・・

 (いつにも増して長いのでご注意ください。今エディタで調べると、原稿用紙で12枚くらいの文字数でした。)

 先日、車で家を出ようとするとエンジンがかからなかった。

 最近の車によくある、スイッチを一瞬押すだけのタイプである。エンジンがかかったらキーを戻すなどの作業は存在しない。

 いつもはすぐにかかるのに、いつまでもセルモーターがキュルキュル回っているので、どうすればいいかわからない・・・はずが、本能的にというか反射的にというか、もう一度スイッチを押してセルを止めた。

 5回ほど試みただろうか。相変わらずである。

 セルは元気に回るので、バッテリーではない。

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 その考えが頭をよぎると、村上春樹ランチアデルタに乗っていて、チロル街道をドイツからオーストリアに抜けたところでエンジンがかからなくなったという話を思い出した(『遠い太鼓』)。

 「でも駄目だ。何度やっても点火しない。」という文が、そのまま頭に浮かんできた。

 あとで、古い文庫本を引っ張り出して該当箇所を探してみた。

車を降りてボンネットを開けてみる。そしてひとつ深呼吸をし、セルモーターが回って、エンジンに点火しない場合の原因というのを考えてみる。《中略》旅行に出る前にランチアの指定工場で定期点検を受けて、問題が起こらないように整備してもらったのだ。それなのにどうしてこんなことになるのか?
 私の車も、まだ3年目に入ったばかりの新車?で、年末に綿密な2年点検を終えたばかりだ。

 違うのは、ボンネットを開けようなどという気にならなかったことである。

 私は頭から、原因は電子的なものだろうと決めてかかっていた。要するにコンピュータの異常である。そうでない場合でも、自分が手を出せるような原因だとは考えなかった。

 以前にも増して、車はブラックボックス化しており、それはもう、スイッチを入れれば動き出す電化製品、いや、コンピュータになってきている。

 仕事の予定もその後の予定もあったので、とりあえず車はそのままにして、家人の車で職場へ向かう。たまたま車があいていてよかった。

 家にはいられないので、車を引き取ってもらうにしても翌朝になるだろうから、時間の押している仕事が終わってからディーラーに電話した。

 結局、やはり翌朝に引き取ってもらうことになり、夜遅く家に帰ってから改めてエンジンをかけようとしても、かからなかった。

 だが、諦めの悪い私がまたごちゃごちゃやっているうちに、エンジンはかかったのである。

 でもなんか、妙な音がする。それは結局、エアコンを切れば止まったのだが、再度エンジンをかけても同じだ。

 もしかして、何か変なことになっていたら、エンジンを回すのは余計壊すことにつながるかもしれない。

 前の車の話だが、高速道路上で水温が上がりすぎてトラックで運んでもらったとき、少しなら自走できるからと、自力でトラックの荷台に上がったことがある。

 ところが、ディーラーに着くと、タイミングベルト回りに問題があり、下手をするとエンジンをおシャカにするところであったと教えられた。

 またそれ以前の別の時には、ある程度エンジン回転数を高く保っていないと、ものすごく回転がばらついて黒い排気ガスがもくもくと出たことがあった。

 信州を旅行しているときで困ったのだが、回転をあげておけばスムーズなので、そのままだましだまし帰ってくると、エアインテーク系のゴムホースに亀裂が入っていて、適切な混合気が送られていなかったのが原因だった。

 それこそ、ボンネットを開けてカバーを外したりしたら気づいて、ガムテープでも貼っておけば応急処置はできたかもしれない。

 まあしかし、そういうのは後知恵である。自分で対処できるような原因が都合よく見つかるとはふつう思わない。

 青森でエンジンがかからなくなり、車を置いて帰ったときには、ディーラーですらすぐには原因がわからなかった。結局、燃料ポンプの故障だった。

 村上春樹ランチアデルタは、イグニッションコイルからディストリビューターに行くコードが切断されていたそうだ。

 そんな原因だと、素人にできることは何もない。プロにだって、部品がなければどうしようもない。

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 まあともかく、今回も自分でどうこうしようというのは早々に諦めて、車をディーラーに引き取ってもらうことにしていた。

 夜、念のため、エマージェンシーアシスタンスにもう一度電話をかけ、エンジンはかかるようになったみたいなんだけれど、それでも運んでくれるのかと確認すると、「もちろんでございます、もし何かあるといけませんから」ということだった。

 翌朝、引き取りに来た係の人は、一通り話を聞くと、「もしかするとイモビライザーのせいかもしれません。イモビが正規のキーを認識できないと、セルが回ったままエンジンがかからなくなります」と言った。

 イモビライザーというのは、キーと車とで暗号通信を行い、互いを認証したときにだけエンジンに点火する、盗難防止のためのシステムだ。それがおかしくなっているのではないかという。

 この説明はものすごく腑に落ちた。昨夜エンジンがかかった時は、かからなかったキーとは別のキーを使っていた可能性もある。

 ただ、私のイメージでは、イモビでひっかかるとセルも回らないと思っていたのだが、それは誤解だったのだろうか。それに、なんか変な感じがした、あの異音はなんだったのか。

 「イモビライザーの可能性がありますので、キーは2つともお預かりします」ということで、わが愛車はトラックに載せられて運ばれていった。

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 ディーラーからはどういう状況なのか連絡がなかった。

 コンピュータのログを取れば、どんな異常があったかすぐに検出できるはずだから、原因くらいは教えておいてくれてもよさそうなものである。

 それとも、原因が究明できずに困っているのだろうか。

 仕方なく夕方にこちらから電話すると、いろいろと順序立てて説明してくれるのだが、要するにひと言でいうと、プラグがカブっていたのではないかということだった。

 まさか。

 そんなこと、まっっったく露ほども考えていなかった。

 あ、車に詳しくない方や、詳しくても知らない若い方に説明すると、「プラグがカブる」というのは、ガソリンに空気を混ぜた混合気に火花を飛ばす装置(プラグ)の電極に、濃い混合気やガソリンが付着して濡れた状態になり、火花が飛ばなくて点火できない状態のことを言う(合ってるかな?)。

 たぶん、私の世代が、そんなことをリアルに体験できた最後の世代ではないかと思う。それだって、自分の車では一度も経験がなく、父親の車の経験があるだけだ。

 学部生時代に買ったオートバイだと、まだ手動のチョーク(説明省略)がついていたりしたが、社会人になってから買ったすべての動力機械に、もはやそんなものはついておらず、混合気の濃淡に気を配ったりすること自体がない。

 ただ、私の場合、古いエンジンのセスナに乗っていたので、わりと最近まで、この種の問題とは縁が深かった。

 エンジン始動前には濃いガスをシリンダに送り込む。エプロンから滑走路に向かうときは、「誘導路上でカブらないように回転数は高めに」と教えられる。低空では密度の濃い空気にあわせて燃料も多めに混ざるように設定して飛行し、高度が上がると薄い空気にあわせて燃料を少なくする。

 そんなことをやっていたのだから、わからなかった、知らなかった、というわけではない。

 でも、そういうのとは一切無縁にするための、コンピュータによる燃料噴射システムではないのか?

 「今どきの車がカブったりするんですか?」

 「ええ、もちろんよくあるわけではありませんが、展示車なんかでは珍しくありません」

 「え? それはどうしてですか」

 「展示を入れ替えたり場所を変えたりするために、短時間だけエンジンをかけて少しだけ動かすなどというのを繰り返していると、そうなります」「最新式の車とは言っても、最後は昔と同じ機械ですからね」

 なるほど。

 確かにその前日、エンジンをかけて1mほど前に出し、後で元の位置に戻すというのをやった。一度だけだけれど。

 でも、それが何か悪影響を残すとはまったく想像していなかった。

 エンジンというのは、父親が最初に買った車みたいに、機嫌を取りながら回ってもらうように工夫する存在ではなくなり、スイッチを入れれば動くようになるモーターのような存在へと、私の頭の中でいつの間にか変身してしまっていたのかもしれない。

 車を引き取りに行ったときに聞くと、コンピュータのログには、異常を検出した記録はまったく残っておらず、ただ、セルを長時間回したのにエンジンがかからなかったことだけが記録されているということだった。

 結果として、プラグを外して清掃などをしてくれたという。

 あと、エンジン制御プログラムのアップデート版が出ていたので、それも適用しておいたとのことだった。今回の件とはおそらく関係はないが、もしかすると、その最新バージョンであればカブったりしなくなるかもしれない。

 いや、それにしてもプラグかぶり・・・

 そんなことなら、アクセルを少し煽ってセルを回し続ければエンジンはかかっていただろう(そういうことをする習慣自体が一切なくなっているのだ)。

 それに、一度エンジンがかかってしまえば、それでもうめでたく解決である。

 エンジンが暖まる程度にその辺を一周すれば、再発もしないはずだ。

 それなのに、大袈裟にもトラックに載せてディーラーへ・・・

 あまりに情けなくて恥ずかしく、営業マンと整備の責任者にひたすら「すみません、お恥ずかしい」と繰り返した。

 「いえいえ、まさかそんな原因だとは誰しも思いません」

 「もしかしたら大ごとだったかもしれませんし」

 「その場合、無理に動かせばより悪くなった可能性もあります」

 「ご迷惑やご不便をおかけして申し訳ありません」

などと、慰め謝ってくれるのだが、バツの悪さはどうしようもない。

 「まあしかし、自分で車を買って30年、車だけじゃなく、バイクだって飛行機だってプラグがカブってエンジンがかからなかったなんてただの一度もないんだから、確かに無理もないよなあ・・・」と頭の中で自分を慰めつつ、また一方では「いやいや、愚者は経験に学ぶというし、そんなことは言い訳にならない」と自戒しながらディーラーを後にしようとしていた。

 その時・・・

 「これ食べないの?」と家人が私に聞く(私の車を引き取るために2人で家人の車に乗って来ていた)。

 「これ」とは、ディーラーが出してくれたケーキっぽいお菓子である。

 「うん」 好きなのだが、恥ずかしくて申し訳なく、それどころではなかったのだ。

 「持って帰っていいですか、これ、おいしかったので」と、家人が今度は営業マンへ。個包装になっているので、確かに持って帰れないことはない。

 彼は当然、「もちろんです、どうぞどうぞ。」と言う。「五感のですからおいしいですよね」と営業スマイル。

 いや、重ね重ね、お恥ずかしい・・・