◆古稀を超えた「子供たち」
表題で何か書こうと思っていて、タイトルだけ書いて寝かせているうちに一週間以上経ってしまい、何が書きたかったのかわからなくなってきた。
ともかく、2月3日の朝日新聞土曜日版、赤 be に杉田二郎の記事があり、「戦争を知らない子供たち」の話が載っていたのだ。
あの歌がはやっていたころ、私はまだ小学生だった。
なので自然と、「戦争を知らない子供たち」の一人が自分だと思っていた。
ただ、幼いなりに、「戦争が終わって、僕らは生まれた」という歌詞には違和感があった。
当時のぼくにとって、戦争というのは単に、歴史上の出来事に過ぎなかったからだ。
本当の「戦争を知らない子供たち」は違ったのだろう。
確かに、「戦争が終わって」から「生まれた」には違いないが、ぼくなんかとは違う感覚がそこにはあったのだと思う。
ぼくは祖父を知らないし(知っていたとしても彼らは戦争には行っていない)、父親も、単なる少年として空襲なんかの被害には遭っているけれど、いわば巻き込まれてしまった被害者に過ぎず、当事者感は薄い。
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「大人になって歩き始める」も、「小学生であるぼくが将来大人になって歩き始める」のだと思っていた。
だが実際には、「戦争を知らない子供たち」はすでに大人になっていて、「歩き始めた」という意味だ。英語なら、歌詞は現在完了形で書かれるべきもののような気がする。
いずれにせよ、その子供たちが古稀を超えてしまった。
単なる巻き込まれた少年すら、卒寿に近づいていく。
もはやこの国に、戦争の当事者だった者はほとんど残っていない。
まして、その責任を引き受けるべき者は、誰もいなくなってしまっている。