●帰省のたびに・・・

 仲人をしていただいた恩師の奥様がお亡くなりになって3年近くになる。

 今回、それ以来初めてお目にかかれ、遅まきながら仏壇に手を合わせることができた。

 奥様は、還暦すらお迎えにならないうちに致命的な病に侵され、半年足らずの闘病生活で逝去されている。

 凄絶な闘病生活は、恩師の創作によってお教えいただいた。

 初めてお目にかかったのは、奥様がまだ20代の時である。その時の可愛らしく優しい印象は、50代になられてもそのままであった。

 8つも年上の自分をいつか看取るはずだった素晴らしい人生の伴侶をこれほど早くに失い、ひとり残された恩師の悲嘆は想像にあまりある。

 信仰者、求道者、そして学者としても仏道を追究する在家生活を送っていらっしゃったのに、このような形での奥様のご逝去は、あまりに理不尽である。爾来、なぜそんなことになるのか、その意味を問い続ける日々であるという。

 私なら「やはり神も仏もないではないか」と嘯くだけで終わってしまうであろう。

 ご心中を推し量ることはできないが、お目にかかればいつものように前向きで快活な恩師である。不甲斐ない私たち夫婦を気遣って、遠慮がちにあれこれ示唆をくださるのだが、そのお気持ちをありがたく受け止めることしかできない自分が情けない。

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 さて表題。

 お宅を辞去した後、近くの実家へ顔を出そうかどうしようかと家人と相談する。正月と先月にも顔を合わせたばかりだが、それこそ、もう何度会えるかわからないということもあり、結局行ってみることにした。

 父親の車はなく、家には鍵がかかっており、留守のようである。呼び鈴を鳴らしても携帯に電話をしても出ない。どこか開いていないかと泥棒のようにあちこち試してみるが、感心なことにきちんと戸締まりをしている。

 が、母親の部屋からテレビの音が漏れてくるので、母親はいるのだろうと思った。ただ、雨戸の閉まった窓越しに呼んでも返事がない。近所の手前、あまり大声も出したくない。

 もう一度父親の携帯に電話をすると今度は出て、墓参りに行く途中だという。電話が遠いと言って何度も聞き返すので、こちらが庭先で声を張り上げるうち、母親も気付いて不自由な足で立って窓際に来た。

 何とか家に入れてもらい、父親の帰りを待っている間に、母親がまた新たな病を得ていることを知った。

 なんだかもう、電話や帰省をするたびに、敗血症糖尿病脳梗塞肝臓ガン腰椎の圧迫骨折・また救急車で運ばれた・・・みたいな話題の尽きない母親である。

 今度はパーキンソン

 腰椎の圧迫骨折の後、脳梗塞の後遺症があるにしても、歩行に問題がありすぎるとは思っていた。しかしまあ、病気も病気だし怪我も怪我だし年も年だし、本人も、努力してどんどんリハビリに精を出そうという感じでもなかったので、どこかで「まあこんなものか」という気もしていた。

 それが、パーキンソン症候群のせいだったというのだ。

 病名を聞いてしまえば、なぜ気付かなかったのだろうと後悔させられる。もっと母親のことを考えていれば、私にだって気付けたはずだ。

 だがそれと同時に、今まで気付けなかった医者たちも情けないと思った。「圧迫骨折は治っています」「脳のMRIは綺麗です」「(脳梗塞の後遺症と糖尿病と高血圧はあるけれど)どこも悪いところはありません」と何度も言いながら、じゃあなぜ運動機能がむしろ悪化するのか、思いつかなかったのだろうか。

 一向に歩行が改善せず、むしろ悪くなる。健康なはずの右手でも、箸がうまく使えないときがある(そのことは私は知らなかった)。「どこも悪くない」と医者が言うのに、どうしてそんなことになるのか。

 その理由がわかり、両親はなんと、喜んでいた。近所に同じ病気の人がいて、治療を始めてから運動機能が改善したのを見ているそうで、そうなることを期待しているようだ。

 しかしながら、つい先日、たまたまパーキンソンの専門家の話をラジオで聞いていた私は、もちろん喜べない。

 この文脈で必要な情報だけを簡単にまとめると、以下のような話である。

・平均余命自体は、パーキンソン症候群でない人たちと大きくは変わらない。

・しかしながら、不治の病であり、症状の改善も望みにくく、進行を遅らせることしかできない。

・したがって、QOL(Quality of Life)は著しく低下する。

 まあそれでも、診断がついて服薬すれば、しないよりはマシであろう。遅きに失したとはいえ、わかってよかったには違いない。

 母親は2〜3日前から薬を飲み始めたそうだ。幸いなのは、両親ともそれほど暗くないことである。

 母親は、できた人間ではないが(ぜんぜんない)、夕食のイタリア料理屋で何かの拍子に笑顔になると、菩薩のようないい顔になった。

 病と衰えが筋肉の動きを変えたのだろうが、こういう表情を見るのは初めてのような気がした。

 寿命が来るまで、これ以上悪くならないでほしい。

 そして、あわよくば、改善してほしいとも思う。

 せんのない望みだとは知りつつも。