■ER

 またERの話(かな?)。

 DVDで最初から少しずつ見ている。シーズン II の終盤近くまで来た。"John Carter, M.D." まであと少しだ。

 一方で、シーズン X を見終えた。グリーンとベントンとダグはいなくなってスーザンが復帰。当初から「カーターの物語」だと一部でいわれていたのが現実になっているようだ。

 初めから見直すと決めたとき、「たぶん、シーズン I は「古色蒼然」という感じがするだろうな」と思っていた。

 だが、全然そんなことがないのに驚いた。X を見た後 II を見ても、そこには同じERワールドが厳として存在しているのだ。これには改めて舌を巻いた。

 お蔭で、III から IX の長いシーズンに何があったかも思い出せない。見ればそれぞれに感動を伴って思い出されるエピソードも、非力で儚い記憶力のために、ほとんどは脳細胞のどこかに沈澱しているだけである。記憶とは、覚えることではなく、思い出すことだと再認識する。

 同じ舞台で繰り返される日常をこれほど長く描いて飽きさせないためには、やはりさまざまな仕掛けが必要だ。意識して見れば、あるいはさらに分析すれば、シーズン II までにはまったく見られないような変則的なエピソードの数が、物語が進むにしたがって増えてくることが容易にわかるだろう。

 それに、相変わらず、メンバーの上にあまりにもいろんなことが起こりすぎる。平凡で退屈な日常に生きる者はその波瀾万丈に憧れてしまったりもするわけだが、実際にあんな人生はそうないし、もしああだったらとても心と体が持たない。

 そう、荒唐無稽だ。にもかかわらず、リアルで飽きさせず、しばしば感動的でさえある。意図してもう一度見ようと思う映画は、私の場合ほとんどない。それがこの長丁場に再度つきあおうというのだから、その魅力のほどは明らかだ。

 マイケル・クライトンを初めとする何人かの天才と、スタッフや出演者たちの才能と努力が織りなす魔法なのだろう。

 こういうドラマをベンチマークとするとき、もし私が別なドラマの制作者だったら、無力感にうちひしがれるだけである。

 「君はまだ絵を描き始めたばかりなんだ。ピカソとくらべれば、そりゃあ勝負にならないさ」

 「でも先生、いつかは勝負になると思いますか?」