●最後の飛翔
9年近く飼っている文鳥が、どうやら最後の時を迎えつつあるようだ。
3月2日の夜は、カゴに保温のためのダンボールをかぶせようとすると、いつもどおり睡眠の定位置であるブランコに飛び乗ったのだが、3日の夜は、何度そぶりを見せても餌箱の中から動こうとしなかった。
餌箱から飛び出している止まり木のような部分に乗って餌が食べられなくなってから、餌箱の中に入って食べるようになっていたのだ。そうなってから、半年ぐらい経つだろうか。
それでもずっと元気で、カゴに手を入れるとすぐ飛び乗ってきていたのだが、4日の夜には、餌箱の下と床に敷いた新聞紙の間にうずくまって動こうとしなかった。
カゴから出して手の上にくるんでやると、気持ちよさそうにじっとしている。心臓は相変わらず、速い鼓動を続けている。
カゴから出したら手の上でじっとするようになってからも数か月だろうか・・・
だが、4日夜はもう、足もとがおぼつかず、止まり木に止まると前後左右に揺れて落ちそうになっていたし、掌の上でも立っていられない。
家人の掌の上にいるとき、私が手を出すと必ずこちらへ移ってきていたのに、動こうとしない。
掌から掌へ、厚みの分だけ落とすような形で受け渡し、交替で1時間ほど手の中にくるんでいてやると、少し元気を取り戻した。
そして、なぜか不意に、私の掌を離れ、家人の方へ、たぶん最後になるだろう飛翔をした。
といっても、ソファから左後ろのテーブルへ、ほんの2メートル足らずの距離である。
まともに着地できず、よろける。
その後は家人と息子が手に乗せたまま、心配そうに見守る。
カゴの中からブランコやハシゴや高い方の止まり木を取り外し、床に置いた皿の上にエサと水を入れる。
がんばってどこかにつかまったあげく、落ちたりしないための用心だ。
暖かいところでじっとさせてやるのがいいのではないかといろいろ知恵を絞ったが、結局は、中に潜るのが好きだったふわふわのスリッパの中に入れてやることにした。
入れてやると喜んで、だが力なく奥の方でうずくまる。つま先に開いた穴から桜色のクチバシがなんとか確認できるが、手前から見ると、もはや脚が地に着いていない。横たわって寝ているようである。
体はまだ規則正しく動いている。生きてはいるのだが、横になって脚を宙に浮かせて寝転がっているのだ。
小鳥の姿ではない。
そのスリッパをカゴの中に入れて小一時間が経ち、日付が変わって5日になった。
今この瞬間、生きているかどうかはもうわからない。
たぶん、朝までもつまいと思う。この鳥の1日は人間の10日だ。
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この鳥に対する思い入れは、おそらく息子が一番深い。
中学3年の高校入試の時、去年の大学入試の時、そして再度の大学入試の今年、私たちが半ば真面目に心配していたのは、ちょうど受験前に文鳥が死んで、そのショックで息子が失敗することだった。
幸か不幸か、死ななくても息子は失敗を重ねた(笑)
幸い、死ぬ前に大学が決まったのは、あるいは、大学が決まってからさほど時をおかずに死にそうなのは・・・ 間違いなく単なる偶然だろう。
だが、明朝には入学手続き書類の受付が始まるのも、紛れもない事実だ。
もし死んだら、どうやって弔ってやればいいのだろう? こういう小動物の死に、我々は特定の葬送儀礼をもっていない。
床に敷いた新聞を替えてやったとき、黒い風切り羽が一本落ちていた。