●不在の感覚

 喪失感とか不在の感覚とかいうことについてつらつら書こうと思ったけれど、いくら何でもいい大人がたかが小鳥のことでどうこう言うのもあれだなと思い直した。

 思い直しつつも、やっぱり簡単には書いておきたくなった。

 たとえば・・・

 夜、風呂に行くとか寝るとかで、リビングの電気を消すことがある。消す前に必ず、文鳥にとって問題ないかを確認するのが癖になっていた。食事中だったり金網につかまっていたりするときに電気を消すと、真っ暗な中で困らないかと思っていたのだ。

 小鳥の方も心得たもので、真っ暗になる雰囲気を察知すると、止まり木やらブランコやらにさっと飛び移って、電気を消せる状態にしてくれる。

 こう書くと複雑なようだが、夜、一人でいるリビングを後にして電気を消すということは、無意識的かつ自動的に、そういう儀式が繰り返されることを意味していた。

 そんな儀式が必要なくなり、何のためらいもなく電気を消せるようになっても、やっぱり消す前には自動的に立ち止まり、視線をカゴに向け、そして初めて、あ、もうあいつはいないんだと思う。

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 朝起きたとき、仕事から帰ったとき、妙にリビングが静かだなあと感じるのも、チュンチュンうるさく出迎える小鳥がいなくなったからだ。

 カゴはまだそこにある。冬場だけかぶせるダンボールの蓋も。

 あわせても1平米にも満たないが、かたづけた後は、狭いリビングががらんとして見えるだろうと思う。