■「日本で作ってるスクーターはないですよ」
ホンダのバイクディーラーで待ち時間に雑誌を読んでいると、別の客と店員との会話が聞こえてきた。
店員曰く「日本で作ってるスクーターはないですよ。」
客が日本製のバイクを選びたいと言ったらしく、その答がこれだ。
ほとんどがタイ製なのだという。
まあ、驚くほどのことではないのだが、四輪の自動車はまだまだ、ほとんどが日本製である。だからこそ、ニッサンのマーチはタイで作っているとかいうのが話題になるのだ。
バイクの方は、ほとんど人々の関心を引かないまま、ひっそりと「スクーターはすべて?外国製」になってしまっている。ホンダのスクーターでも。
幸いというべきなのかどうかわからないが、私が買ったのはスクーターではなく、製造も熊本県らしい。もっとも、部品レベルで言うと海外からの調達が増えているという。
世界に冠たるドイツの高級車だって、ポーランドやハンガリーや南アフリカや中国なんかで生産している。もはや、いわゆる先進国に、大型製造業の余地は限りなく小さくなってしまっている。
電気製品にしても、たとえば「世界の亀山モデル」は一過性のものだったし、堺の大工場も本来の力を発揮する前にシャープが傾いてしまった。
工業製品だけでももちろん大問題なのだが、こんな調子で進んでいくと、
「日本で作ってる野菜はないですよ」
「日本で作ってるコメはないですよ」
とか、果ては
「日本でやってる教育はないですよ」
なんてことになってしまうのではないだろうか。
サンフランシスコ → シアトル便の Delayed Bag(ロストバゲッジ)について、フィリピンにいる担当者と話すような現状では、そういうことすら近未来に起こりかねないような気がする。
これだけ通信環境が発達してくると、「教師はどこにいる何人(なにじん)でもかまわない。ある程度優秀ならばとにかく人件費の安い人」というような圧力が働いても不思議ではない。
そうさせないための砦の一つはおそらく日本語だろう。
だが、それも非関税障壁として排除され「英語で教育を」ということになるかもしれないし、そういう動きは現に始まっている。