●愚かな市長と教育長
「愚かな市長」というと、すぐにあの人(リンク自粛)が思い浮かぶが、今回は別人である。
「差別的表現」を問題視して小中学校図書室から『はだしのゲン』を回収していた大阪府泉佐野市長のことだ。
ああ、でも、また大阪か。ほんとうに恥ずかしい。
報道された市長の発言を信じるならば、「「きちがい」など不適切な表現があることに気づいた」から回収したという。直接回収することを指示したのは教育長らしい。
この愚かな二人は、自分たちが何をやっているのか理解しているのだろうか。
この件が報道される以前に、複数の教育委員から「回収すべきでなかった」「早く学校に返すべきだ」という指摘があったとされる。校長会も「市教委が一方的に蔵書の閉架や回収を行うことは校長として違和感を禁じ得ず、到底受け入れられない」という抗議文書を教育長に手渡しているという。
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「市教委が「ゲン」全10巻を見直して、差別的要素を含む「不適切な表現」だとしたのは、「乞食(こじき)」24カ所、「きちがい」14カ所、「ルンペン」4カ所など5語計45カ所」だそうだ(『朝日新聞』)。
計算すると、あとの2語は2カ所と1カ所ということになる。
全部で5語しかないことにむしろ驚くが、いずれにせよ、忙しいのにそんなチェックをやらされた市教委に同情する。他にもっと大事な仕事が山積しているだろうに。
『はだしのゲン』以外にも同様の表現があれば同様の要請をするのかと問われた市長は、「今回はゲンの問題に気づいたから指摘した。ほかの本にも同様の問題があれば、気づいたところから変えていったらいいと思う」と答えたという。
この人は、そもそも本というものを読んだことがあるのだろうか。「本」が言い過ぎなら、近代の文学作品をと言い換えてもいい。
「青空文庫」を検索すると、物乞いの意味での「乞食」は、たとえば、森鴎外・夏目漱石・樋口一葉・有島武郎・与謝野晶子・寺田寅彦・芥川龍之介・堀辰雄・鈴木三重吉・小川未明・太宰治・泉鏡花・中島敦・石川啄木・宮澤賢治・・・の作品でも使われていることがすぐわかる。
というより、使っていない作家を見つけるのが難しいくらいではないだろうか。「ルンペン」の頻度は下がるが、「きちがい」は「乞食」と大差ない。
日本の作品ではないが、『王子と乞食』(マーク・トウェイン)はどうするのだ?
こうして、「ほかの本にも同様の問題があ」ることに「気づ」かされた泉佐野市長や教育長は、これら作家の作品も「回収」することを視野に入れ、教育委員会に「差別的要素を含む「不適切な表現」」をリストアップさせるというのだろうか。
もしそんなことをすれば(とてもできないけど)、膨大な数の作品から夥しい語がリストアップされることになる。そんなことも知らないのか。
言うまでもなく、ほとんど読んだこともないから知らないか、「ゲン」回収に別の意図があったかのどちらか(というより、たぶん両方)であろう。
市長も教育長も「漫画を読んだ子への個別指導が必要」だと考えているというのだが、それならば、鴎外や漱石や・・・を読んだ子どもにも個別指導が必要になる。
それ以前に、だれがどの本を読んだかを追跡調査することの怖さに気づいていないことが恐ろしい。
校長会は「大量の蔵書から不適切な表現が含まれる作品を拾い出し、語句を逐一訂正指導するようなことは不可能」などとする文書を教育長に提出している。おそらく、本を読んだことがある人たちなのだろうと思う。
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もう一人の愚かな市長や安倍政権は、教育委員会を無力化して首長や教育長(≠教育委員長)に教育行政の権限を与えようと腐心している。
教育委員会がその機能を十全に果たしていないとすれば、処方箋は教育委員会の改善であって、行政の長とその取り巻きに教育を私物化させるような「改革」ではない。
今回の件は、市長や教育長がこれほど愚かであり得るということ、そして、そういう一握りの人たちに教育を左右されることがどれほど危険なことかに警鐘を鳴らしたという点では、意義深いできごとであったと言えるかもしれない。
皮肉なことだが。