●さらぬ別れのなくもがな

 昨夜7時ごろ母親から電話があり、のんびりした声でいきなり

 「お母さんなあ、肝臓ガンやねん」

といった。

 一瞬、「お母さん」ってだれのことなのか、「肝臓ガン」って何のことなのかがわからなかった。

 祖母は2人とも他界しているので、「お母さん」が母親本人であることは一呼吸置いて思いあたったが、「肝臓ガン」の理解にはさらに数秒を要した。

 知る限り、血縁者でガンにかかった者は一人もいない。

 血のつながりのない親戚には何人か(も?)いるが、申し訳ないことに、血縁者にいないことで、やはりガンはどこか「ひとごと」であったのだ。

 「母親が肝臓ガン」という事実を理解した後は、自分の体まで蝕まれはじめているような、不吉でリアルな感触を持てあました。

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 敗血症で死の淵から甦り脳梗塞による半身不随から立ち直りつつある母親が、今度は肝臓ガン・・・

 糖尿病もインシュリンの自己注射をするくらいの状態なので、もはやこれまでかとも思う。

 やっと自分の足で歩いて、好物の寿司を食べにいけるようになったばかりなのに。

 去年の11月、このブログに

万一元に戻ったとしても所詮は後期高齢者。糖尿病は治らないし、今後待っているのは、また新たな病気とか怪我とか寝たきりとか死とかであって、明るい未来の展望などない
と書いたのだが、こんなに早く「新たな病気」、しかも致命的なそれが襲ってくるとはやはり思っていなかった。

 だがおそらく、現代医療は死期を遅らせる。もしかすると、だれにとってもつらい闘病生活を長引かせるだけかもしれない(というか、その確率は相当高い)にもかかわらず。

 それでもまあ、本人も家族も「できるだけのことはする」というスタンスでことに当たらざるをえない。

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 これが100歳、せめて90歳なら、「もうそろそろ・・・」と思えるのだろうか。

 危ないからやめろというのに、ポケットに両手を突っ込んで階段をスタスタと降りていく父親が85歳、母親はヨチヨチとしか歩けなくなったが、まだ80歳だ。

 この時代、寿命というにはまだ早い気がする。

 本人は、どれくらい覚悟ができているんだろう? そして私は