■お掃除革命
何ごとによらず、きれいにするのは嫌いではないので、家では私が掃除係になっている。
特に、リビングダイニングのある2階の掃除機がけは、100%私の仕事だ。
以前にも書いたような気がするが、大昔、腰痛でほとんど立てなくなっていたとき、「ちょっと悪いけど、掃除してくれへん?」と家人に頼んだところ、?快く引き受けてくれた気立てのいい彼女?が発した第一声は、「スイッチどこ?」だった。
その掃除機を買ってからその日まで、触ったことすらなかったのである。
そんなわけでというか、まともそうなコードレス スティック掃除機が発売されるようになってから何年間も、買おうか買うまいか迷っていた。
今あるものが故障でもしなければ次を買わないのが、うちの流儀でもある。
幸か不幸か、掃除機はいっこうに故障する気配がない。
でもとうとう、思いきって買ってしまった。モデル末期で値段が極端に下がっていたことが最後に背中を押した。
結論を書こう。
スティック掃除機は買うべきである。今からもう一本買い足そうかと思うくらいだ。
大手家電量販店に行くと実物がずらりと展示してあり、実際に使ってみることもできるので、いろいろ試してみればいい。
ただ、この際、私がお勧めするのをご紹介するので、よろしければそれをお買いになるのが、面倒がなくていいと思う。
容器からゴミを捨てたりするのが面倒な方は、紙パック式の MC-PBU510J もある。
何といってもデザインが素晴らしい。そして、バランスに優れているので、取り回しがものすごく楽である。
掃除するためにあげる重い腰が、数分の一に軽くなる。掃除し始めてからも、コードのついた重い掃除機を引っ張り回すストレスがない。
スティック掃除機を買ってから掃除する回数が倍くらいに増えたし、以前の重い掃除機を使うことはほとんどなくなった。
125ccのスクーターと大型バイクを両方持っている人が、スクーターにばかり乗るようになるのと同じである(一部の人にしかピンとこない比喩ですみません)。
今のところ唯一の大きな欠点は、1回の充電で掃除できる時間(すなわち面積)が限られていること。
広くもないわが家のワンフロアをぜんぶ掃除し終わる前に充電が切れてしまう。そしてなんと、充電には3時間もかかる。
まあしかしこれは、「そんなに掃除ばっかりしないで休憩してね」というメーカーの配慮だと思うことにしている。
実際、ものの15分ほどだが、真面目に掃除をするとけっこう疲れるものだ。
あ、もう一つ欠点があった。吸込み口のパワーブラシ?が回ると、ちょっと耳障りな高周波音が大きめだ。ただ、気になるようなら回さない選択肢もある。
ほとんどまったく同じ新型機(MC-SBU520J/PBU520J)が発売されているので、在庫があるうちに旧型機(MC-SBU510J/MC-PBU510J)を購入なさることをお勧めする。
いくら子細に調べても違いはただ一つ、吸い取るべきゴミがなくなったときにゴミセンサーの明かりが「消灯する」(旧型)か「青色に変わる」(新型)かの違いだけだ(万一間違っていたらすみません)。
それで価格は、新型(SBU520J)が60100円、旧型(SBU510J)が32700円(いずれも、今夜のkakaku.comの最安値)。
ほとんど同じ機械に2倍近く支払う理由はまったくない。
さあ、在庫がなくならないうちに、MC-SBU510J(もしくはPBU510J)をどうぞ。
(言うまでもなく、私はパナソニックと何の関係もありません。株すら持っていません。)
■「アキレスのかかと」
みなさまは、「アキレスのかかと」が何を意味するか、瞬時に理解できて違和感もないでしょうか。
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キリがないし面倒くさいのでなるべく書かないといいながらのたぶん3回目。
まあ、十数年の歴史で3回ですからほとんど書いてませんよね。
アメリカのFBIに所属するプロファイラーたちを主人公にしたドラマ、Criminal Minds を見ていると、
"The child is definitely her achilles heel." という台詞が出てきた。
「間違いなく、その子どもが彼女のアキレス腱(=弱点)だ」というような意味である。
その字幕がどうなっていたか。
全体を正確には記憶していないが、「アキレスのかかとよ」というのは完全に覚えている。まったく同じ表記で、もう一度出てきた。「アキレスのかかとよ」
(最後の「よ」の是非についてはかつて考察した(笑)ので、興味があればご覧ください。)
「弱点」を表す比喩としてアキレスを持ち出すなら、もっとも人口に膾炙しているのは間違いなく「アキレス腱」だろう。
なのになぜ、「アキレスのかかと」なんて訳すのか。文字数だって増えてしまうのに。
もしかすると私の思い込みなのかもしれないと考え、Google で「"アキレス腱" "弱点”」および「"アキレスの踵" "弱点”」で検索してみた。
「アキレス腱」は5万500件、「アキレスの踵」は631件だった。
ちなみに、「アキレスけん」だと3850件で、「アキレスのかかと」では564件。
(以上いずれも「"弱点”」との and 検索)
やはり「アキレス腱」と訳すべきなのは間違いない。
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では、どうして訳者は「アキレスのかかと」なんかにしたんだろう?
下手をすると意味がわからなくなるし、仮にわかっても、私のように引っかかる人も多いはずだ。文字数だって3文字も増える。仮に「踵」を使っても1文字増えるのだ。
「アキレスのかかと」の方が字幕として適切だという根拠は、何一つ見つけられないと思う。
私に想像できる理由は2つしかない。
1.日本語で「弱点」を比喩的に言う場合、「アキレス腱」が非常に頻繁に使われることを訳者は知らなかった。
そこで、"achilles heel"をそのまま「アキレスのかかと」と直訳した。英和辞書を引けば、"achilles heel"に「唯一の急所、弱点」などの訳語が載っているから。
まさか、と思うのだが、そうとしか考えられない。
2.「アキレス腱」も「アキレスの踵」も、弱点を表す比喩であることは知っていたが、前者の方がはるかに一般的だということを知らなかった。
そこで、どちらを採用しようかと考えた際に、「腱」や「踵」の字が読めない人も多いのではないかと気になった。
「アキレスけん」「アキレスのかかと」を比較した結果、後者の方が見てすぐ理解されやすいだろうと思った。
うーん、やっぱり2なのかなあ。たとえそうでも、不適切の誹りは免れないと思うんだけれど。
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いずれにせよ、日々目にする山のような誤訳・不適切訳の事例を考えると、根本の問題は、翻訳者の中に日本語のできない人が多すぎる点にあるという気がしてしかたがない。
これは、英語(外国語)が好きで翻訳の世界に入った人がほとんどであることが主因であろうと推察される。
だとすると、改善への道のりは遠そうだ。
■<a href="https://citizen.jp/news/2018/20180910.html" target = "_blank" >シチズン、「なおみモデル」の腕時計を発売</a>
大坂なおみというテニスプレイヤーが活躍しているらしいことは仄聞していたが、まさか全米オープンの決勝に進み、私ですら知っているあのセリーナ・ウィリアムズをストレートで下して優勝するとは、想像していなかった。
セリーナの反則や暴言・審判の判断、さらには風刺画の是非にまで及んで世間はかまびすしいが、今日になって それより気になることが出てきた。
シチズン時計が「なおみモデル」の腕時計を発売するという記事が新聞に出ていて、それはまあ別にいいのだが、驚いたのは、「大坂選手」が「9日の全米オープン決勝でも、このモデルを着用していたという」ことだ。
いくらラケットを持たない方の手だとはいえ、テニスの試合中(しかも世界トップレベル)に腕時計なんかするものだろうか。
そう疑問を持って画像を検索すると、もちろん「このモデル」かどうかはわからないが、確かに腕時計をしたまま試合に出ていたことは確かなようだ(セリーナ・ウィリアムズも腕時計をしている)。
私はもちろん、腕時計をする世代であるし、ふだん3つを使い分けている程度には時計好きである。しかし、たとえば職場で椅子に座ると、外して机上に置くのが常だ。
仕事でなければ、車で出かけるときにはそもそもしないし、旅行にも持っていかなくなった。
やはり何かと邪魔になるからだ。
なのに、世界トップレベルの選手がテニスの試合中に腕時計をしている??
ふつうではちょっと考えられないと思うのだが、これはやはり、スポンサーに配慮した行為、というか、試合中にも着用していることが何かの条件になっていたり金銭的メリットを産んだりしているからだろうか。
それとも、テニスの試合をする上で、自分の腕時計で時間を把握することが何か重要な意味を持つからなのだろうか。
おそらくは前者だと思うのだが、うーん、私が大坂なおみ(とかセリーナ・ウィリアムズとかマリア・シャラポワ)だとしたら、試合中の着用はやはり断ると思うんだけれど。
そんな態度だから一流に(というか二流にも)なれないのかもしれない。
■白馬・八方池
昨年は行けず、「またいずれ行くつもりでいる」とここに記した白馬の八方池に、もう今年行くことができた。
「またいずれ」というのは、あっという間に数年経ち、それが20年30年になり、ついには・・・という可能性の高い表現なので、珍しいことだと思う。
しかも、去年は一人旅だったが、今年は当初家人と2人で、後に息子も行くことになり、結局家族3人で出かけられることになった。
特に2日目は、人生で何十回もないレベルの充実感があった。
1日目
・日本庭園付きの手打ち蕎麦屋(現地で検索)
・安曇野ワイナリー(家人の希望。ヨーグルトを購入して飲む)
・碌山美術館(家人の希望)
・白馬のペンション(泊)
・近くの鉄板焼きの店で夕食
2日目
・八方池
・黒菱第3リフト下まで車で
・リフトを乗り継いで八方池山荘へ
・急なガレ場の尾根を八方池へ
・昼食
・戻る
・黒菱平に降りて鎌池湿原を散策(ホオアカを撮影)
・さらにリフトで下へ
・車でペンションへ
・ペンションで夕食(泊)
3日目
・古民家群と棚田の青鬼集落
・親海湿原
・姫川源流
・安曇野でイタリアンの昼食(現地で検索)
・道の駅きそむら(本つげの櫛を購入)
・妻籠(車窓観光)
・馬籠(徒歩観光)
・中津川でうどんの夕食
・23時過ぎ帰宅
■愚者は経験から学ぶ
ものごころついてから台風はたぶん百回以上経験しているが、ほとんどは「この程度か」といったものであった。
そのくらいでも、台風が過ぎると道の上にいろんなものが散乱していたりする。
しかし、瓦屋根が飛ぶなどというのは画面の中だけのことで、台風が危険だとか怖いとかいうのを感じたことはほとんどなかった。
ただ、今回近畿地方を直撃した台風21号は、これまで経験した台風とは違っていた。
半世紀以上を生きてきて、これほどの暴風は初めてである。
家が、震度2くらいのレベルで揺れる。
6月の大阪府北部地震のために近所の屋根にかけられていたブルーシートが空を飛んでいく。
木々は折れんばかりに暴れ、電線が縄跳びのように揺れる。
鳥もなすすべなく、木の枝と同じように飛ばされている。
「何か飛んできたら・・・」と思いながらも、どこかで たかをくくってそれらを眺めていると、突然、ガーンともバーンともつかない もの凄い音がして、家に何かがぶつかったのがわかった。
見ると、すぐ横の雨戸が内側に凹んでる。いつも台風の時は、念のためにと雨戸のついている窓はぜんぶ閉めているが、それが役に立ったのは初めてだ。
もし閉めていなかったら、別の窓から外を眺める家族3人に向かって、近所?の瓦がガラスを突き破って襲いかかってきていただろう。
風が小やみになってから見ると、雨戸の外のベランダに黒いスレート瓦が数枚、砕けて散らばっていた。
後記:フェンスも一部折れ曲がっていた。
葡萄のための竹垣もとどめを刺された。
家人の実家は、玄関引き戸のガラスが2枚とも割れたという(後記:1枚だった)。
後記:先日の大地震には耐えた裏のブロック塀が倒壊していた。
外を見ると、近所で少なくとも3軒の瓦が飛んでいる。
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もちろん、そんな被害は軽微なものだ。いつものように、画面の中ではさまざまな被害が報道されている。特に関西空港がひどいようだ。
以前と違って facebook や twitter なんかもあり、友人知人の被害や、報道されないもろもろも知ることができる。
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「愚者は経験から学ぶ」というが、たとえ半世紀であっても、自分の経験則でものごとを判断するのは確かに愚かなことだ。
しかし、歴史から学べば賢者だと言えるだろうか。
今回くらいの台風なら、歴史から学んでいれば十分だったかもしれない。
だが、知りうる限りの歴史にさえ現れていない事象が、これから起こらないとも限らない。
いつもそれに怯え、怖れていては、まともに生活ができなくなってしまうだろう。
それでも、想像力を鍛え、それを駆使して「想定外」を言い訳にしない姿勢がますます大切になりそうだ。
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これから台風の影響を受ける地域のみなさまへ
いくぶん弱くなったとはいえ、これまでの台風とは違います。避けられる被害は受けないよう、十分警戒なさってください。
■小人閑居して・・・(その2)
長い夏休み最後の日、急に思い立って兵庫県の出石にひとりで出かけた。
出石町だったはずが、いつのまにか豊岡市になっている。まあ、前回行ったときにはすでにそうだったかもしれない。
出石には数回行ったことがあるが、昨日偶然、日本では珍しい、磁器の産地であることを知った。
これまで迂闊にも出石と焼き物を結びつけたことがなかった。しかも磁器。私は陶器にはほとんど興味がないが、磁器はちょっとだけ好きである。
長い休暇を家でだらだら過ごしたまま最終日になったので、天気もよさそうなことだし、出かけてみることにしたのだ。
朝になっても悩んでいたが、現地で歩き回ることとゲリラ豪雨の可能性とを考えて、バイクではなく車にした。往復6時間。結局、雨には遭わなかった。
ネットで評判のいい官兵衛というお店で田舎蕎麦と皿そば2枚を食べ(トップ?の近又という店は大行列で諦めた)、(おそらく)すべての窯元を回る。とはいっても、5つほどだ。
案に相違して好みの磁器は少なかったが(壺や酒器、湯呑みやお皿が多い)、外側が白磁、内側が青磁になっているカップを買った。
もう一つ、別の窯元のマグカップを買おうかどうしようか迷ったが、また次回ということにした。
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これを書き始めた動機は、標題である。
私のような小人が閑居すると、さすがに不善は為さないまでも、暇に任せていろいろ買ってしまう。ふだんはあまりモノを買わないのだが。
というわけで、休暇中に買ったものをリストにしておこうと思った。
・ルータ用ヒートシンク
・ダマスカス鋼風土佐包丁
・毛抜き
・ハスカップ(果実)のジャム
・パジャマ
・靴下
・スティック掃除機
・本つげの櫛
・トレッキングシューズ(予定)
うーん、私としては驚くほどの散財である。
この中でまあ必要なのはパジャマと靴下だけだ。
あ、トレッキングシューズもか。これはまだ買っていないのだが、白馬の八方池を往復した翌日だったか、ソールが前からべろんと剥がれているのに気づいた。そんなに使ったつもりはないのだが、経年劣化が激しいらしい。
ふだんあまり買い物をしないものだから、仕方なしに買わされるのはけっこう嬉しかったりもする。典型的なのは車のタイヤだ。
トレッキングシューズはタイヤほどは高くないので、ちょっと楽しみである。
★鳥の体
(以下、鳥の排泄物や交尾の話が出てきますので、苦手な方はお読みにならないでください。)
一応はバードウォッチングを趣味にしていて、家で文鳥も飼っているので、鳥についてはたぶん、ふつうの人より少しは詳しいはずだ。
それでももちろん、知っていることよりは知らないことの方が圧倒的に多い。というより、知らないことは原理的に無限にあるが、知っていることはいくらがんばっても有限である(しかも、がんばってないし)。
それにしても、こんな基本的なことも知らなかったのか・・・というエピソードを。
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文鳥をカゴから出すときは、ところかまわずフンをするので、きれい好き?の私は常に警戒を怠らず、大きなストレスになる。
家人はそんなことはあまり気にしないので、排泄したことに気づかず、その辺にフンが残っていることがある。
フンと書いたが、液体だけを出すこともあり、それは尿であろうと推測している。
下痢ということはほとんどないのだが、固形のフンを尿がくるんだ状態で排泄されることが多い。なぜそんなことになるかというと、鳥は総排出口というものを持っており(というか、それしか持っておらず)何もかもそこから出すからである。
「何もかも」と書いたが、さすがに呼吸は口と鼻で行っていて、呼気はそれらから出している。ただ、鳥には汗腺がないので、要するに、空気以外はぜんぶ総排出口から出すと思ってだいたい間違いない。
あ、食べたものをいろんな理由から吐き戻したりすることはもちろんある。
「ぜんぶ」というのはいかにも大ざっぱな話だが、私は鳥類学者でも何でもないのでご容赦願いたい。ここで「ぜんぶ」というのは、便・尿・卵(または精子)である(さすがに、涙や鼻水(もしあれば)は、それぞれ目や鼻から出している)。
これは、消化管の末端である肛門(鳥の場合は総排出口)より手前で、尿管と卵管(または精管)が消化管に合流しているからだ。川のように支流が合流して、海に出るときには河口一つになっているようなものである。
出てくる場所が同じなので、洗浄前の鶏の卵には、フンがついていることがよくある。卵の中身には基本的にサルモネラ菌はいないが、洗浄後であっても卵殻(カラ)にはまれに付着していることがあるので、生食する際には卵の外側と中身とが触れないように注意することが大事だ。
そこまではだいたいわかっていた。
先日急に気になったのは、鳥のオスの生殖器(突起)のことである。これまでそれについて考えたこともなかったし、気にしたこともなかった。
鳥類は哺乳類と同じように交尾をする。
私はハト(ドバト)くらいしか見たことはないと思うが、オスがメスの上に乗っかってそれらしき行為をするのは知っていた。
何も考えていなかったのだが、ふつうに考えれば、そこには当然オスの生殖突起の存在が予想され、それがメスの総排出口に挿入されて交尾が完成するのだということになろう。
だが、鳥類のオスの生殖突起について自分がまったく何の知識も持っていないことにふと気づいた。それまで、知識がないことすら意識していなかった。
オスのカブトムシの生殖突起すら実際に目にしたことがあるのに、鳥のそれは、見たことはもちろん、写真や想像によるイメージすらない。
調べてみると・・・
なんと、イメージすらなくて当たり前、ほとんどの鳥(どこかに97%と書いてあった)には突起としてのオスの生殖器は存在しないというのである(ダチョウやカモ類にはあるそうだ)。
じゃあ、ハトは何をやっていたのかというと、下のメスががんばって総排出口をなるべく上(結果として横)に向け、オスは上から自分の総排出口をメスのそれにこすり合わせていたのである。
そしてオスは総排出口から精子を排出し、メスの総排出口に流し込む。
上に乗っかって、ほんとにそんなことが機能するのだろうか。なんとも不思議な交尾だ。
鳥の体は、あらゆることが飛ぶために最適化されているとよく言われるが、飛ぶためには生殖突起さえ邪魔だということなのだろうか。
まあ確かに、人間みたいな感じだと邪魔なのはわかるが、上記のカブトムシ含め、多くの動物では使わないときには外から見えないくらいに格納されていて邪魔にはならないはずなのだが・・・
邪魔というより、少しでも軽くしたいから生殖突起は不要だということなのか。
さっきの糞尿混合の話も、大腸や膀胱にためたりしないで、片端から出していくから起こるという面がある。ためると重くなるからそうしないのだ。
いずれにせよ、「ほとんどの鳥にはオスの生殖突起がない」というのには、かなりびっくりした。
ほんとに世の中、知らないことだらけである。
★ひょんなことから『サラダ記念日』
高知を旅行中、若い女性と話していて『サラダ記念日』を紹介したくなった。
俵万智がちょうど彼女たちの年齢のころに編まれた歌集でもある。
データがどこかに眠っていたよなあ・・・とハードディスク(違った、ソリッドステートドライブ(SSD)だ)の中をあさるも、見つからない。
仕方ないので、以前購入したエクスパンドブックからデータを引っ張り出して、自分でデータベースを作ることにした。
一点だけ、目を通しながら手動でやらざるをえない工程があったので、結局全歌を読み直すことになった。
こんなのあったっけ・・・という歌(数は少ない)から、完全に暗唱できるものまで、懐かしく読み返した。
ものはついでと、次の日に『かぜのてのひら』、その次の日に『チョコレート革命』も同様にデータベース化した。
データベースとは言っても、ワンレコードに一首ずつ、それぞれに歌集名と小見出しをタグとしてつけた程度のものである。
これら2つの歌集も、同じように、全歌おさらいすることになった。
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俵万智の著作はたくさんあるが、純粋な歌集は5つしかない。
第1から第3歌集までを一気に検索できるようになったのだから(ちなみに、全1267首に「愛」は72回、「恋」は45回出てきます)この際、第5歌集までぜんぶ作りたくなったが、手元に本もデータもないのでまた後日に回すことにした。
もし娘がいたら、その年齢にあわせて順番に俵万智の歌集をプレゼントしていくのもいいなあ・・・とちらっと思った。
まあでも、現実問題としては、子持ち男と不倫されたりシングルマザーになられたりしてもちょっと困るんだけれど。
娘がいなくてよかった・・・のか?
★ひょんなことから よさこい祭り
祭りは特に好きではないし、何より人ごみが嫌いなのでほとんど行ったことがない。
それでも、長い人生だし、一度でも行った祭りを・・・と振り返ってみても、ねぶた祭と祇園祭くらいしか思いつかない。
それぞれ、10年以上、20年以上前のことだと思う。
ねぶたは、旅程上たまたま青森にいる日にやっているのを知ったので、「わざわざ避けなくてもいいか」くらいの感覚で行ってみた。案に相違して、そのために はるばる出かけてもいいくらいのものだったのには驚いた。
ミシュランでいうと三つ星である。
祇園は、仕事仲間に誘われて行った。行こうと思えば毎年でも簡単に行けるのに、その一度しか経験がない。
暑かったこととともに、今は亡き先達の姿が目蓋に残っている。
不思議なことに、一緒に行ったはずの方々の姿は浮かんでこない。まさか二人だったということはないと思うのだが。
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ブログを始めてすぐ、「高知と言えば、よさこい祭り」をお書きになっていた伊与田治彦さんとネット上で知り合いになり(こんなところにお名前を記すのは憚られるのだが、ブログ自体にもお書きになっているのでお許しいただけると思う)、そうなのか、高知と言えば よさこい祭りなんだ、と認識した。
私にとって、高知と言えば、はりまや橋・坂本龍馬に桂浜、県で考えれば、四万十川・室戸岬・足摺岬・四国カルスト、そして近年は馬路村であった。
よさこい祭りはもちろん知っていたが、阿波踊りほどには有名でないイメージもあった。
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今回、ひょんなことから、はじめて よさこい祭りを見る機会が得られた。しかも、かつて踊ったこともある、祭りに詳しい地元の若い女性の案内つきである。
これほどの僥倖はなかなかあるものではない。
初心者丸出しの質問をいろいろすることで、よさこい祭りというもののダイナミズムや ありようを少しは理解できた気がする。
いつものように、ただの観光客として ひとりあの場にいたら、こうはいかなかっただろう。
いったい高知にはどれくらい人がいて、そのうち何%が踊ればこれほどの規模の祭りになるのかと思ったが、県外から踊りに来ている人も多いというのには かなりびっくりした。祭りというのは地元のものだという固定観念があったからだ。
いつからそうなっているのか知らないが、今後も盛り上がっていくであろう一つの理由かと思われた。
県内外から、ひとグループにつき70人や80人という踊り手が、それぞれ独自の派手な衣装を はためかせて次々と踊っているのを見ながら、自分にはない「祭りと踊りのある人生」について、しばし思いをはせることになった。
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よさこい祭りに限らず、その節はお世話になり、また、パラレルワールドのような仮想現実のような素晴らしい時間を過ごさせてくれて、ありがとう。
★高知ひとり?旅 tweet 集
例によって旅行中の tweet をまとめてみた。
いつも以上に過酷な車中泊と、体にタバコの匂いがしみつく安ホテルに辟易したが、いつもとは違って、ここ↓に表れない部分で、「これは現実なのか」と自問するような、不思議で素敵な旅行になった(いえもちろん、浮いた話はありません)。
2018/08/11 7:34 7:30から大音量でラジオ体操@道の駅布施ヶ坂@高知県。幸い起きていたが、おちおち寝ていられない。
2018/08/11 10:24 四国カルスト、濃霧。こんな中でも一切の灯火をつけていない車がいるのにあきれる。
2018/08/11 16:34 ひょんなことから よさこい祭
2018/08/11 19:09 「祭りや踊りのある人生」について、しばし考えこんでしまう。
2018/08/11 23:14 暑すぎて寝られないというか、寝ても熱中症とかの心配が必要な感じ。車中泊で初体験。
2018/08/11 23:17 それでも、人っ子一人おらず、真っ暗であるのをいいことに、パンツ一丁で寝ようとしていると、車が一台やってきて、数人でなんと、花火を始めた。
2018/08/11 23:18 最悪の状況だったが、とりあえずいなくなってほっとする。しかしこれからどうしたものか・・・
2018/08/12 0:30 結局、パンツ一丁で窓を少し開けて寝る羽目に。明日の宿だけはやっと取れた。
2018/08/12 6:38 朝、大雨。
2018/08/12 6:43 ちょっと途方に暮れる感のある雨の早朝、元気づけられるメールを受信、ありがたい。
2018/08/12 10:53 庖丁を買って、ちょっと気分が上向く。
2018/08/12 11:25 本格・本物をうたう蕎麦屋。くわえ煙草で暖簾をだしていたので見送る。
2018/08/12 12:26 Google Maps に「行きたい印」は付けてたけど、こんなに早く来ることになるとは思わなかった@SEA HOUSE
2018/08/12 13:57 おしゃれなレストランでお盆のぼっち飯はちょっと切なかったが、夕飯は一人じゃなくなりそうで嬉しい。
2018/08/12 14:12 刈り取りの終わった田んぼがちらほらとあって驚く。二期作?
2018/08/12 21:07 よさこい祭、踊りもさることながら、「よさこい衣装」の人々がふつうに街中にあふれているのがすごい。コンビニに並んでいたりも。写真を撮れないのが残念。
2018/08/13 7:33 (たぶん高知で一番安い)ホテルでセルフの朝食。これから混んでくる時間帯、1つしかないテーブル席をおじさんが一人で使っているのに驚く。ごくふつうのおとなしそうな人なのだが。「こういうふうに生きられたら楽だろうなあ」と、ちょっと羨ましい。
2018/08/14 8:43 帰宅した翌朝も6時に起きてしまう。これが続けばいいのだが、どうせ続かない。ならばもっとゆっくり寝ていたかった・・・
2018/08/14 14:13 留守中、一度も掃除されていない自宅を掃除中・・・
★乳児用液体ミルク解禁
本日8日、乳児用の液体ミルクが解禁された。「厚生労働省が製品の規格基準を定めた改正省令を公布、施行」(朝日新聞)したそうである。
その裏にどのような検討と手続きがあったのか定かではないが、これまで日本で製造・販売されていなかった製品が省令一本で販売できるようになるというのはおもしろい。そういうことが可能な製品がほかにどれくらいあるのだろう。
この液体ミルクが話題になりはじめたのは東日本大震災以降だと思うが、「常温で一定期間保存でき、湯で溶かして冷ます必要もない。粉ミルクより使いやすいと海外では広く売られている」(同)のだという。災害時の支援物資としても頼もしい存在だ。
今まで日本で売られていなかったのは、単なる行政の怠慢なのだろうか。
解禁されたものの、市販までには一年以上かかかる見通しだそうだ(「ええ? うちの子、それまでに卒乳しちゃうよ・・・」という方は、ぜひ二人目三人目の時に期待してください)。
解禁と同時にとはいかないまでも、なぜもっと早く売り出せるように準備できなかったんだろう。日本乳業協会が規格作りを要望したのは、もう9年も前のことらしいのに。
こんなことに10年もかかっているようでは、そりゃ世界から取り残されていくよなあ・・・と思ってしまう。モノが乳児用だけに、「念には念を入れて安全を」ということなのかもしれないけれど。
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息子にミルクを飲ませていたころ、「どうして液体ミルクがないんだろう」なんて思いつきもしなかった。
紙おむつはすでにあったが、布おむつの時代には使い捨ての紙おむつを思いつかないのと同じだ。
「必要は発明の母」というが、凡人には何が必要なのかすらわからない。iPhone がなかったときには、だれもそれが必要だとは思わなかったはずである。
粉ミルクは厄介だ。
シリコンの乳首や哺乳瓶を洗ってから煮沸消毒しておく。いったん沸騰させた70℃以上のお湯で調乳、さらにそれを40℃程度にさましてから飲ませる。
温度計を突っ込むわけにもいかないので、手首の内側に出してみて温度を判定し(「あつっ!」)、その後なめとるのがふつうだった。
そうした作業をしている間、赤ん坊が火のついたように泣き叫んでいることもあるだろう。
息子は幸い、あまり手のかからない子で助かったけれど。
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どんな製品が出てくるのかは知らないが、おそらくは煮沸した乳首をネジ蓋に直接取り付けるだけで飲ませられる製品が売り出されるに違いない。適温にするのは電子レンジで自動だ。
粉ミルクより重くてかさばるのがネックだが、まだかろうじて残っている牛乳配達の業者が宅配すればいい。業界の生き残りにもつながるだろう。
購入するにしても、紙パックで常温6か月、レトルトや缶なら9〜12か月大丈夫だそうなので、まとめ買いもたやすい。
となると、問題は価格か。
少しでも安くなって、減った育児の負担が赤ちゃんへの愛情に転化されることを願う。
★『ノジュール』
過去に数回見たことがあった・・・ような気がしたが、書店売りはしておらず、直販だけだというので勘違いかもしれない。
ただ、バックナンバーならネット書店等でも手軽に買えるようだ。
その雑誌が今月号で「楽して愉しむ百名山」という特集をやっているのを知ったので、ちょっと食指が動いた。
いや、そもそも、百名山を追いかけること自体が、心ある方々から冷ややかな目で見られているのも承知しているし、ましてや、自分で頂上まで登りもしないで「楽して愉しむ」などもっての外だというご意見には十分首肯できる。
それでもなお、私のような運動不足でぐうたらな男が、現実に心を動かされてしまうのはどうしようもない。
そういう人物が少なくないからこそ、こういう特集が成立するのだろう。
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さて、これを書きたいと思った動機は、「ノジュール」を "Nos Jours" だとこれまで勝手に思っていたのに、違っていたことである。
"Nos Jours" だと、フランス語で「私たちの日々」みたいな意味、英語で言えば "Our Days" だ。
年を取って余裕ができ、日々を前向きに愉しむ人々のための雑誌として、悪くないネーミングだと思っていた。版元も “50代からの旅と暮らしの情報誌” をうたっている。
ところが、今回の件で、実は "Nodule" だということを知った。「団塊」である・・・
いやいや・・・
日本語で『団塊』などというタイトルの雑誌があったとして、誰が買いたいと思うだろうか。
まあ、他の多くのこの種の雑誌と同じように、確かに団塊の世代をターゲットにしているのだろう。
だが今や、彼(女)らは「アラ古稀」なのである。1948年生まれが今年70歳だ。
“50代からの旅と暮らしの情報誌” が「団塊」を名乗るのは、ぜひやめてほしい。
この手の雑誌のタイトルはフランス語が多いし、そろそろ、 "Nos Jours" に変えてはいかがだろうか。どうせ表紙の題字はカタカナだ。
「ノジュール」のロゴも気に入らないので、この際あわせてリニューアルしてくれれば、購読を考えないでもない(上から目線ですみません)。
★村上RADIO ~RUN&SONGS~
村上春樹が初めてラジオに出演するというので、Mac で聴いたり録音したりできるのかを調べると、あっさりできたことに驚いた。
それにしても、ラジオ初出演というのがすごすぎる。私ですら出たことがあるのに。
テレビにはまだ出たことがないのだろうか。
村上春樹の声は英語でスピーチしているときにしか聞いたことがなかったので、こんな話し方をするのかと、最初は違和感があった。
しかし、聞いているうちにその声に慣れてしまって、もう村上春樹にしか聞こえなくなってきた。
脳というのは単純だ。すぐに説得されてしまう。
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ラジオ録音を調べる過程で、Mac の画面をムービーとして録画できることも知って驚いた。まあ、常識に属することを知らなかっただけかもしれない。
「やりたいこと」があれば、Mac でけっこういろんなことができる。iPhone でもそうだろう。
それほどやりたいことがないのが一番の問題かもしれない。
★今浦島(その2)──落日
まだぜんぜん慣れない。日本が「世界一」でないことに。
「第2四半期の世界スマホ出荷台数、アップルが3位に転落」(CNET Japan)という記事を見た。
2位だったアップルが3位に転落したのが記事の眼目らしいが、そんなことより、ランキングの中に日本メーカーが一つもないことが当たり前になっているのに驚く。ずっと前からこうなんですか?
載っていたのは5位までだが、1位から順に、サムスン(韓)・ファーウェイ(中)・アップル(米)・シャオミー(中)・OPPO(中)。4位と5位は恥ずかしながら聞いたこともない。
(調べると、2016年実績ですでに、14位まで!に日本メーカーは一つも見当たらなかった。20位までに入っているのかどうかはわからない。)
韓国と中国の台頭が目立つが、3位のアップルだって製造は中国だし、どうもサムスンすら落ち目らしく、そのうち中国が席巻するだろう。これが四半世紀前なら、5位まで日本が独占していてもおかしくはなかったはずだ。
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自動車は今のところ、まだ面目を保っている。
だが、間違いなく次世代の中心となる電気自動車においては、トヨタ・日産・ホンダなど日本メーカー各社が「中国メーカーからは、引き離されている感が否めない」(朝日新聞2017.11.18)というのだ。自動車で中国に引き離されている・・・
その後少しは追いついたのだろうか。
次の四半世紀後には、スマートフォンと同様に、自動車の出荷台数ランキングからも日本メーカーが消えかねない。
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「風の前の塵に同じ」というような儚い一生の中で、一国の ──しかも祖国の── 隆盛と没落を経験することになるのだろうか。
メディアを通して入ってくる情報を除けば、まだまだそれほどの実感はない。だが確実に、しかもおそらく加速度的に、日は沈んで行きつつある。
●今浦島
車で行こうかとも思っていたのだが、結局JRを使うことにし、いろいろ「今浦島」な体験をしたので順不同で簡単に記す。
日本で電車に乗ったのは何年ぶりだろう?という感じだ。
もちろん、実際にはそんなことはないのだが(今思い出した。たぶん、一番最近は去年上海に行った際、関西空港までJRに乗ったときだ。バスが遅れるというので仕方なく乗った。)、主観的にはそうだし、神戸や明石や姫路に電車で行ったのは、もしかするとほんとに20〜30年ぶりの可能性もある。いや、もっとかもしれない。
1.大阪駅のホームの一部に柵がついていた。
やっと韓国や中国に追いついてきたわけだが、まだまだ引き離されている。かつて、はるかにリードしていた日本のことを思うと、隔世の感がある。
2.帰りの普通電車が大阪駅を発車するとき、定刻より10秒早くドアが閉まった。
国鉄・JRとしては初めての経験である。大学生のときは国鉄のターミナル駅近くに住んで電車通学していたので、始発電車は秒単位まで正確にドアが閉まっていたのを鮮明に覚えている。時報とともに「プシュー」という感じだった。始発以外はそれほどのことはないが、定刻前にドアが閉まった経験は一度もない。最近はあれがふつうなのだろうか。
3.姫路に向かうとき、上り電車には6〜7分だが遅れが発生しており、乗っていた下りの新快速も2〜3分遅れていた。
毎日のように国鉄に乗っていた大学時代、数分であれ電車が遅れるというのは明らかに異常事態であった。昨今はそんなことはないのだろうか。
4.姫路から大阪まで1時間2分しかかからなかった。
私の知っている新快速の途中停車駅は加古川・明石・三ノ宮だけだったのに、今は西明石・神戸・芦屋・尼崎が増えている。それでいてこの所要時間・・・ 新幹線でも30分かかるのだが。
5.すべての新快速が西明石に止まる。そして、西明石発着の新快速はなくなっているようだ。
それがどうも30年以上前かららしいことにさらに驚く。
6.姫路駅のホームにまだ「えきそば」(その筋では有名らしい)があった。
建物はさすがに、見覚えのあるものではなかった。食べたかったのだが、諸般の事情で見送った。もし食べていたら、おそらく40年以上ぶりだったと思う。このままだと、「半世紀ぶりに食べた」ということになりそうだ。
7.姫路駅の北口を出ると、まっすぐ前に世界遺産:姫路城が見えるのに感心した。
以前からそうだったような気もするが、こういうふうな名所の登場の仕方(東京駅を出ると目の前に東京タワーみたいな)は、日本ではほかにちょっと思いつかない(あ、京都タワーがあった。でもしょぼすぎる)。ドイツのケルン大聖堂など、駅を降りればすぐ目の前に聳えていて、姫路城以上に迫力があるのだが。
8.車内放送がよく言えばちょっと洗練されたものに、悪く言えば無機質なものになっている。
あ、英語のアナウンスまで入っていた。往年の国鉄の独特な節回しのアナウンスを今でも上手に?真似できる身としてはちょっと寂しい。
9.日本人はもっともパーソナルスペースの広い民族(つまりは他人との距離がもっとも遠い民族)の一つだと思うのだが、こと公共交通機関になると、(もちろん仕方なくではあるのだが)他人との距離が俄然接近することに平気なのは不思議だ。
久しぶりに電車に乗ると、見知らぬオヤジがほとんど隙間なく隣に座っていたり立っていたりする気持ち悪さに、かなりの忍耐を強いられる。行くとき最初に乗った電車では、すぐ目の前に母子3人連れがいたのだが、取れない距離を取ろうとして気を遣い、接近しないように体力も消耗した。
慣れてくると、場面に応じて自在に接近許容度を上下できるようになるのだろうが(わたしもかつてはなっていたはずだ)、大した能力である。
10.改札は iPhone をタッチするだけで通れた。
もちろん、事前に準備していたからなのだが、使ったのはまだたぶん2回目である。改札を通るときにはどきどきした。コンビニで Apple Pay(QUICPay) を使うより、はるかに処理が早かった。
番外:姫路駅で乗ったタクシーが、タバコで煮染めたような臭気を発していた。
一台前の古そうなクラウンになるかなと思っていたら、その後ろの新しいカムリ(しかも個人タクシー)になって喜んでいたのだが、一気に地獄に突き落とされた。今どき、あれほどタバコ臭いタクシーがあり得るのだろうか。あそこまで臭いと、不快なだけではなく、ほんとに健康にも悪いような気がしてくる。
タクシーには電車以上に乗らないが、昔のタクシーですら、あれほどはタバコ臭くなかったような気がする。シートをビニールで覆っていると臭いがつきにくいのかもしれない。昨日のはファブリックがむき出しだった。ついでに、帰りの車は芳香剤の臭いがきつすぎた・・・
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次回行くときには、時間もお金もかかっても ─そして環境に悪くても─ やっぱり車にせざるを得ないかなと思ってしまう。